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貨幣論 (ちくま学芸文庫)
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岩井 克人
筑摩書房
ISBN: 4480084118
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べ_deleted000 :
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マルクスの「資本論」を下敷きに,多くの経済学流派にとって「喉に刺さったトゲ」のようなものだった「貨幣の謎」(貨幣とは何か?)に挑む230ページあまり。いや文章も平易(時おり引用されるマルクスの文はそうでもないけど)だし,論旨も明晰,久々の「他人に薦めたい人文図書」でありました。以下,オレなりの解釈で要約してみる……。
「商品Aは商品Bまたは商品Cと等価である」ということ(全体的価値形態)がその逆転である「商品Bあるいは商品Cは商品Aと等価である」(一般的価値形態)を産み,その逆転が循環する構造が形成された時に商品Aの位置を占めるものが「貨幣」である。……ややこしいな,これを平たく言うと「貨幣とは貨幣として使われるものである」ってことになるんだけど,貨幣というのは実はこのトートロジーそのものだ,というのがこの本の主張なんだな。
例えば今オレがポケットから取り出したこの1万円札,原価が正味いくらかは知らないが,紙,インク,印刷技術,工賃全てを合計してもまぁ1枚10円の価値もないだろう。でもこれを商店に持って行けば,とりあえずその店で10,000円分の商品と引き換えてもらえる。なぜ商店主は原価10円にも満たない紙切れと引き換えに大事な商品をヒゲ面の中年男(というのはもちろんオレのことだけど)に引き渡して平気なのか。それは「*将来のいつの日かに誰かほかの人間がその紙切れと10,000円分の商品と引き換えてくれると思っているから」なのであり,その「誰かほかの人間」がそうしてくれる理由もまた,「*印くりかえし」なのである。
逆に言う,もしこの循環が途切れる時が来たら,馬車はカボチャに戻り馬はネズミの正体を現し,オレの1万円札は隠れもなきただの紙切れとなり,哀れ魔法の痕跡は王子の手に残るガラスの靴の片方だけ(ところでこれはガキの頃からの疑問なんだがなんであの靴だけ12時過ぎてもガラスのままなんだ?)となるのである。ね,トートロジーこそが貨幣の本質だって意味,分かるでしょ?
さてしかし本当に面白いのはここからなのだ。ちと考えれば分かるがこの循環,時間軸に沿って螺旋を描いて循環しつつ進んで行く構造になっている。これが何を意味するか,つまり貨幣経済が成り立つ社会というのはある意味で永遠に先送りの社会なのだということである。この議論から著者は最終的に資本主義の真の危機としてのハイパー・インフレーション(貨幣からの遁走)に論を進めるのだが,オレは脱線してマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に思いを馳せた。彼等キリスト教徒が神による「裁きの日」を本当に信じているのならば,この永遠の先送りの上に立脚した資本主義に身を委ねるのはすなわち背信であり異端ということになりはしないか。つまるところ「教義の沙汰も金次第」?
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最終更新 : Mon Jan 01 22:23:18 +0900 2007
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